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蜂飼いとブナの森



『蜂飼い』の話をしよう。
 
松本雄鳳は昭和8年、会津若松市に4人兄弟の末っ子として生まれた。家は会津で5本の指に入る造り酒屋だったが、昭和16年、3人の兄たちが養蜂業を始めた。当時の会津には、里にも山にも花が咲き乱れ、蜜は採れ放題。年間30トンもの収量があったという。
 
末っ子の雄鳳は、繁忙期の助っ人だ。兄たちに逆らえず、仕方なく手伝いはしたが、その度に蜂に刺されて顔が腫れ上がる。養蜂業、「蜂飼い」なんて大嫌いだった。
 
しかし、好きだろうと嫌いだろうと、そんなことに関係なくミツバチは毎日淡々と蜜を運び、夜になれば不眠で羽根を振るわせ、水分を飛ばして絶妙な濃度の『蜂蜜』を作り続ける。
 
女王を取り巻く王国を守りながら、30日ごとに世代交代を繰り返し、人間がその営みによる生産物、蜂蜜を横取りしても、また蜜を集めに当たり前のように飛び立っていく。人間の欲や都合などを遙かに超え、自然のリズムで生きている蜂たちを見ている内に、雄鳳はスケールの大きな自然界と共に生きる「蜂飼い」の仕事にのめり込むようになった。
昭和29年、雄鳳は「蜂飼い」になる道を選んだ。
 


『ブナの森』の話をしよう。
 
日本の養蜂には「西日本型養蜂」と「東日本型養蜂」がある。主流は「西日本型養蜂」だった。西日本に広がるのは照葉樹林帯と呼ばれる常緑広葉樹の森。その低地にはミカンやレンゲやクローバーの花が咲く。そこから採れる蜂蜜は、淡泊で日本人の口によく合った。
 
しかし、戦後の都市開発や薬害、環境破壊などにより、「西日本型養蜂」の主蜜源である花畑が減少すると、養蜂家達は花を求めて日本を移動しなければならず、移動型養蜂という形に変わり、数も減少した。
 
それに対して東北を中心とする「東日本型養蜂」は、落葉広葉樹林のブナの木を中心に、そこに混生する栃の木、山桜、キハダ、リョウブ、コシアブラ、クリなど数10種類の木が形成する天然林をベースしたもの。特に会津地方は、ブナの木を中心に形成された森の蜜源植物が豊富な上、気候などの自然条件に恵まれているため、山の標高によって季節折々の花が咲く。北へ花を求めて移動しなくても、山の標高を変えていけば、定住して春から秋まで採蜜ができた。
 
日本の養蜂のあるべき姿、世界に誇れる日本の蜂蜜の未来がそこにはあった。
全ては『ブナの森』のお陰だった。
 


ブナの森の蜂蜜
 
昭和50年、雄鳳は共同出資して経営参加していた会津蜂蜜株式会社から独立して、現在の『松本養蜂総本場』を設立した。自分の作った蜂蜜を自分の手で人に届けたかったからだ。
 
蜂飼いが蜂蜜売りも手がけるのは、思ったより大変だった。
時同じくして、輸入蜂蜜が勢力を伸ばし、アカシア、クローバー、オレンジなどが主流の輸入蜂蜜は、くせが無く価格も安い。黙っていたら、日本の蜂蜜は売れない。
 
雄鳳は試行錯誤を繰り返して、賭けに近い1つの結論にたどり着く。ただの蜂蜜ではダメだ。自分だけにしか作れない『会津の蜂蜜』をもっと前面に押し出そう。『会津の蜂蜜』はまさしく『ブナの森の蜂蜜』だ。栃の木をメインに、りょうぶ、ヤマザクラ、コシアブラ、はりえんじゅ、クリなど、様々な樹木から独特の香りと味わいの蜂蜜が作られる。それらの個性は、ブナの森そのもの、雄鳳が蜂飼いとして森を見続け感じてきた、ブナの森の豊かさの象徴である。
 
森の恵みを伝えることは、蜂飼いとしての生き甲斐になった。
時代もそれを少しずつ後押しする。食の欧米化やグルメ嗜好により個性的な風味が注目され始めたのだ。木の持つ有機成分に富んでいることは、健康重視の食生活にピタリと合致した。天然林からの採取というところも、自然志向、安全志向にアピール出来る。雄鳳にとって、ブナの森はミツバチ以上に大切な存在となった。
 


蜂飼いの闘い
 
気象状況、自然条件で左右される蜂飼いの仕事は、それらを常に見極めることにある。人間が手を出せることなんてほんの少しだが、森を日々観察し、樹の生態を知ることで採蜜の時期や量のバランスをとればいい。それも、多種多様な樹が元気に生え揃っている恵みの源、ブナの森だからできることだった。ブナの森があれば、山の蜜源が豊富であれば維持できた。
 
ところがその山に、高度経済成長という時代の波が押し寄せてきた。木材需要の増加による、森林行政の自然体系を無視した木の伐採だ。昭和33年から39年にかけて、国の『木材増産計画』により、会津の天然林はどんどん伐採された。
 
蜂飼いにとって、自然林=ブナの森の消滅は蜜源の消滅を意味する。まさに死活問題だった。そんなことにはおかまいなしで、雄鳳が巣箱を設置する『蜂場』として営林署から承諾を得ている国有林のひとつ、博士山の周辺にリゾート開発、大規模な林道の工事、ダム建設などの話が進んで行く。またブナが伐採され、ブナの森が消えて行く。日本の大切な財産である自然林が崩壊していく。黙ってはいられなかった。
 
1989年(平成元年)、『博士山ブナ林を守る会』が立ち上がった。森を守るため、蜂を守るため、結果として人間を守るために。森の姿を見続けて生きてきた松本雄鳳は、後にその会長となった。
 
山は日本そのものだ。
物言わぬブナの木も、小さな蜂でさえも、その摂理に従って自然のペースで生きている。それらの恩恵で、人は生きていることを、蜂飼いは目の当たりに見てきた。過ちは食い止めなければならない。
 
雄鳳は各地で講演をして森の大切さを訴え、行政に対して訴訟も起こした。
雄鳳は、自然保護運動家ではない。ただ、日本人なら必ずどこかに懐かしさと豊かさ感じる香りと甘さを蓄えた、会津のブナの森の蜂蜜を伝え続けていきたかっただけだ。
 
多くの支援者に支えられて『博士山ブナ林を守る会』が起こした訴訟は足かけ10年に渡り、損害賠償こそ受け入れられなかったが、リゾート開発は中止になり、林道工事においても歯止めとなった。2002年、雄鳳の他界後もブナの森は会津の、そして日本の美しき風景として残っている。
 


守り抜いたもの
 
雄鳳が闘い、守り抜いたブナの森から採れた蜂蜜は、2006年に『JONA(日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会)』から、国産で初めての有機蜂蜜としての認証を取得した。汚染のない蜜源、有機認証基準に従って飼育したミツバチ、有機認証基準に従った生産方法。いずれも、雄鳳が当たり前に蜂飼いとして生きてきた生き方そのものであり、雄鳳が守り続けてきたものだ。
雄鳳が守った会津のブナの森を飛び交うミツバチにしか作れない大地の風味。『松本養蜂総本場』にしか作れない極上の蜂蜜は、まさしく『日本の蜂蜜』だ。
 
本当の『おいしい』には理由がある。
 
『ほんもの』を守るのは強い意思である。
日本の蜂蜜を広めていくことこそ、ブナの森、日本の自然を守ること。
ひとりの蜂飼いとブナの森の物語は、世代を繋いで今もまだ続いている。